地政学はブームなのか?
高橋洋一先生が『世界のニュースがわかる!図解地政学入門』を出版した。
んんん・・・・
早い話が地域紛争小辞典である。
地政学はその成立とその分野の目的を考えれば「?」な「学」である。というより私が学生の頃いた大学(ほとんど全ての教養科目で何かと平和の話が出た)の講義では、植民地政策の流れで出てくる。そりゃそうだ、異なる国家間の土地の奪い合いがメインテーマなのだから。
マル系の「マルクス主義経済地理学」にいわせれば、ゲオポリなんてよばれたりもするが、この学問の提唱者も体系化してるとは言い難く、マル系近経みたいに立場で分かれているようだ。
何よりも、やはりカール・ハウスホーファーだろう。ナチの3大聖典、マインカンプ(ヒトラー)、21世紀の神話(ローゼンバーグだったかな?)、そしてドイツ陸軍将校時代の中国駐在経験を活かしてベルリン大学教授になったカールハウスホーファー先生「太平洋地政学」です。
イギリスが新しい植民地を太平洋に求めるように我がドイツも的なことが書いてたようだ。植民地があって当たり前を前提にという、時代の産物です。
戦後、長く社会科学の世界で「地政学」が不遇の扱いを受けたのはそういうわけだろう。しかし最近の地政学ブームは「教養主義の没落、知性の退行」などと称されるような時代にだからこそなのかもしれない。でも教養主義の没落は社会科学系の人たちが自ら招いたものだから。
なお、地政学以外に地理的アプローチとして
計量地理学・理論地理学
空間経済学
などあったけど根づかなかった要因こそ「教養主義の没落」を象徴しているんじゃないか。地政学を標榜するへんてこが出てきてもおかしくはない。
気になる4つのニュース
欧米では直接支払制度の見直しの時期に来ている。つまり導入後の実績について議論可能なレベルに達したということだろう。見直しでも実績ありきの見直しでうらやましい限りである。
市場を歪め、兼業農家のフリーライドを容認する価格支持政策から、真に支援の必要ある将来ある農業者への支援を目指す所得支持政策への転換は日本では未だ始まったといえるレベルにはない。結局、組織化ありきのためJAが強くなるのもしょうがない。
1.農業も物も技術もみな海外移転(=農業空洞化の推進)
三井住友銀、インドネシアで農業支援 秋田の企業と組み :日本経済新聞
2.当然こうなり、それをさらに進める
農業産出額、前年比7.2%減 山形県 | 河北新報オンラインニュース
3.これで儲かるのはUglyビジネスのみ
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=36067
4.そして
電子立国を目指した日本だが、国産OSの芽をつんだり、半導体産業を崩壊に導いたり、政府は何をやりたいんだろう。次は農業ということだろうか。土地を転がしたいのだろうか。
どのみち、善意をもって経済政策を進めようとしても、結局、政党を支持する特定産業の利益を図り、結果農業もその産業も衰退する。ゾンビ企業ならぬゾンビ産業をつくりたいということか。天下り先を確保するためにも。
センター試験と公表される統計データ
2016年1月13~14日はセンター試験。
センター試験は巨大学力データベースといえるが、こういうのもあったのか
センター試験浪人率 [ 2014年第一位 沖縄県 ]|新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン]
本文では沖縄県の浪人率35.98%が平均の20.93%になっているが、自動化せずに書き込んでいるのか?
最低の岩手県11.59%との差は大きいものだが、単に学力が低いのか、国立志向が異常に強いのか、教育費負担の関係で国立人気なのか...。
受験生にアンケートでもとってみたいものだ。
沖縄県の基地経済?
RESASの産業マップが農業しかなかったので
沖縄県の市町村民所得統計から財産所得を描画してみた。
Rのtreemapを使ってみたものの、引数が多すぎて使いこなせていないと思うが
市町村民所得で色塗りして、財産所得の大きさでマッピングした。
色を見てわかるとおり、那覇市が圧倒的に大きい
のだが、面積(=財産所得)をみると沖縄市とほぼ同じで、嘉手納、北谷、読谷も大きい。南風原町よりも大きい。おそらく米軍基地に土地を貸しているからか?
案外グラフよりも直観的にわかりやすいかもしれない。
treemapの引数を市町村民所得と財産所得を逆にして再描画すると下の通り。
市町村の経済規模としてはこの通りだが、なんかカルトグラムっぽい。
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WORDのページングはいつも頭を悩ます。
何度やっても忘れるので、QAにリンクをする。
はやい話が
改ページ×2、最初のページで「この頁から開始」、次の頁で「次の頁から開始」
これで章扉(表紙)とその裏ページができる。
とはいえセクション区切りの開始位置とその概念がわかりにくい。
農業所得倍増は下村治に学んだのか?
高度成長期の論争期にに身を置いた経済学者や、学生時代にそういった人達を師にもった人間は「所得倍増」という言葉をどのような思いで聞くだろうか。経済政策というより同時方程式モデル=計量経済学という教育を受けた私は、下村治は経済政策・計画モデルの理想像として存在している。
沢木耕太郎『危機の宰相』には下村の長男である恭民法政大学教授による解説がある。
NHKの「その時歴史が動いた 所得倍増の夢を追え(2007年)」の視聴者は日本経済に関する知識がなく、下村治はいうまでもなく「所得倍増計画」も初耳という人々が多かった。
そういう趣旨の記述があり、日本のアカデミズム(都留重人系列)とかマル経、マネタリスト系列の影響力の大きさを改めて思い知った感がある。経済政策を立案するとき将来のフレームはその前提としてある。それは計量モデルによって構築する。その計量モデルの模範は経済企画庁の中期パイロットモデルであって、クラインのあの有名なモデルではない。経企庁のモデルは、下村推計の対立候補であるが、モデルの解は下村推計を目指す、私の師匠はそんな感じのことを言っていた。見通しが当たり、なおかつ、政策効果が発揮された場合の見通しになる、そういうことだろう。
「所得倍増計画はただの計画ではない。ましてや予測でもない。それは政府によるたくまざる民間経済の誘導策だった。(p155)」
39年に始まる景気討論会は時代を彩る華やかなベントであり「成長論楽観論の下村vs安定成長論悲観論の吉野俊彦」の論争は非常にエキサイティングなものだったらしい。
今このようなものはなく、朝まで生テレビくらいのものだが、私が学生のころは「悲観論の高橋乗宣vs強気の金森久雄」という構図だったが、景気論争自体は盛り上がりの賭けるものなっていった。バブルの崩壊と長期不況が経済学への不信を決定的なものにしたのではないだろうか。
結局、経済は将来の見通しがはずれれば価値はないということだし、こうしていれば良かったのだという歴史的シミュレーションも予測力あってはじめて価値を持つということだろう。結局エコノミスト達は自ら先立つの資産を食いつぶして世に災厄をもたらしているだけということになるのか。
農業所得倍増は肝心要の計量モデルによる実証が決定的に不足しているというか、欠如している。そのため検証しようがないため、魅力を感じないし、危うい空手形でしかない。場合によっては\日本農業崩壊のきっかけとなるだけなのかもしれない。政策担当者や立案者がそれを理解できないのは、下村治にでなく、都留重人に学んでいるからだろうか。
何よりも、今のマクロ経済学の教科書に
ハロッド=ドーマー理論がない
というのは大問題だ。