WORDのページングはいつも頭を悩ます。

何度やっても忘れるので、QAにリンクをする。

 

www.724685.com

 

はやい話が

改ページ×2、最初のページで「この頁から開始」、次の頁で「次の頁から開始」

これで章扉(表紙)とその裏ページができる。

とはいえセクション区切りの開始位置とその概念がわかりにくい。

農業所得倍増は下村治に学んだのか?

高度成長期の論争期にに身を置いた経済学者や、学生時代にそういった人達を師にもった人間は「所得倍増」という言葉をどのような思いで聞くだろうか。経済政策というより同時方程式モデル=計量経済学という教育を受けた私は、下村治は経済政策・計画モデルの理想像として存在している。

沢木耕太郎『危機の宰相』には下村の長男である恭民法政大学教授による解説がある。

NHKの「その時歴史が動いた 所得倍増の夢を追え(2007年)」の視聴者は日本経済に関する知識がなく、下村治はいうまでもなく「所得倍増計画」も初耳という人々が多かった。

そういう趣旨の記述があり、日本のアカデミズム(都留重人系列)とかマル経マネタリスト系列の影響力の大きさを改めて思い知った感がある。経済政策を立案するとき将来のフレームはその前提としてある。それは計量モデルによって構築する。その計量モデルの模範は経済企画庁の中期パイロットモデルであって、クラインのあの有名なモデルではない。経企庁のモデルは、下村推計の対立候補であるが、モデルの解は下村推計を目指す、私の師匠はそんな感じのことを言っていた。見通しが当たり、なおかつ、政策効果が発揮された場合の見通しになる、そういうことだろう。

水木楊『エコノミスト三国志(旧題:思い邪なし)』では

所得倍増計画はただの計画ではない。ましてや予測でもない。それは政府によるたくまざる民間経済の誘導策だった。(p155)」

39年に始まる景気討論会は時代を彩る華やかなベントであり「成長論楽観論の下村vs安定成長論悲観論の吉野俊彦」の論争は非常にエキサイティングなものだったらしい。

今このようなものはなく、朝まで生テレビくらいのものだが、私が学生のころは「悲観論の高橋乗宣vs強気の金森久雄」という構図だったが、景気論争自体は盛り上がりの賭けるものなっていった。バブルの崩壊と長期不況が経済学への不信を決定的なものにしたのではないだろうか。

結局、経済は将来の見通しがはずれれば価値はないということだし、こうしていれば良かったのだという歴史的シミュレーションも予測力あってはじめて価値を持つということだろう。結局エコノミスト達は自ら先立つの資産を食いつぶして世に災厄をもたらしているだけということになるのか。

農業所得倍増は肝心要の計量モデルによる実証が決定的に不足しているというか、欠如している。そのため検証しようがないため、魅力を感じないし、危うい空手形でしかない。場合によっては\日本農業崩壊のきっかけとなるだけなのかもしれない。政策担当者や立案者がそれを理解できないのは、下村治にでなく、都留重人に学んでいるからだろうか。

 

何よりも、今のマクロ経済学の教科書に

ハロッド=ドーマー理論がない

というのは大問題だ。

センチメント分析?

この記事をみんでから

https://www.waseda.jp/top/news/36149

Supervised Aggregated Sentiment Analysis(英語版はPDFのオンパレード)、センチメント分析を検索したところ、概論は

これだけはマスター!情報戦略キーワード - センチメント分析:ITpro

 

実際はセンチメント分析だとふつうはここを使うだろうが

realtime.search.yahoo.co.jp

 

f:id:okh_2014:20151228103909p:plain

(面白いのは、早朝+午後と深夜の意見の違いだよな)

とはいえ、どうせなら、コーディングで応用したいものだ

ツイートから好みのタイプの女の子を見つけるセンチメント分析とDeep Learning | 株式会社サイバーエージェント

600円のマイコンと思えばよい

600円のマイコンと思えばよい。日本でIOとかFM、PCのファンとかマガジンのBASICやマシン語のソースを「写経」して育った世代が、LinuxTRONを開発し、漢字FEPにまでつながったはずだ。

誤ったIT化が技術力の蓄積に意味をなさないというのは、記事中にある韓国が良い(悪いというべきか)例


http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1512/28/news034_3.html

AO入試

 

www.yomiuri.co.jp

 

経済学部が25人の募集に対して77人の出願者を集めた一方、工学部の2学科では出願者がいなかったというのは興味深い。山師とエンジニアの違いなのかもしれない。東大のブランドを手に入れて虚業、自らの技術力を高め戦うか、という意思の違いね。